伊豆を綴る 第1回

  伊豆の雨は冷たい。子供の時分からそう感じていた。世間では、伊豆は温暖、温泉と海と蜜柑の半島で…など、何かと穏やかな印象で語られる。無論、物理的にはそうだ。しかし、伊豆に産まれ育った私にとっては、伊豆が自然と醸し出す哀愁ともいうべきその風、匂い、色がいつも苦しかった。伊豆の空気は穏やかに、私の首を絞めてくる。幼い頃からそんな感覚の中に居た。

  「道がつづら折りになって、いよいよ天城峠に近づいたと思う頃、雨足が杉の密林を白く染めながら、すさまじい早さで麓から私を追って来た。」川端康成の伊豆の踊子の冒頭の言葉がよく思い出される。アパートから最寄りの駅までの道を何気なく歩いているとき、近所のスーパーに出掛けた帰り道、アパートの窓から見える山々に目を向けるときなどに。伊豆では、ふと見上げると其処にいつも山がある。雨の日には山肌に真っ白い靄がかかり、胸を締め付けるようなもの悲しさを醸し出す。その悲しさを想うとき、いつも私の頭はくらくらとよろめき、まるで手に届きそうなその靄が山々の涙に見えるのだ。伊豆はいつも泣いている。そう感じる。晴れの日も、雨の日も、星空の夜も。この土地の性だろうか。人々にしみじみと故郷を想わせる温かさとは裏腹に、土地の者や訪れる者の念を受け入れて背負い、母のような温かさで包むと同時に、土や風や水が吸い込んだ人々の念が、打ち寄せる波の波動や吹き降りる山風に乗って弾け、冷たい涙のように其処にいる者の心の隙間に入り込むのか

もしれない。伊豆の雨は冷たい。ずっと私の身体を取り巻いているその感覚を想うとき、それは、あの川端の文章と共に胸に迫り、私の心も泣くのだ。

  アパートの近くに小さな川がある。そこに架かる橋は「温泉橋」と名付けられていて、そこを渡るときにはいつも峠から強い山風が吹き降りてくる。橋の下に目をやると、川の中の石の隙間から無骨に生い茂ったススキが水の流れに湿り、真冬の伊豆の片隅の景色を一層冷やしていくように感ずる。

  小雨降る一月某日の夕暮。温泉橋の上を一人歩いていると、ふと、

「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。南無弘法さん、南無十三仏さん。南無ご先祖さん、みんな成仏して下さい。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。家内安全、家内健康、家内円満。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏…。」

と、仏壇に向かい力強く唱える九十六歳の祖母の声が聴こえてきた。腰の曲がった祖母の姿が目に浮かんだ。思わず、

「ああ、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏…。

脳裏に響く祖母の声に合わせるように、私も独り呟いていた。そうしてただ、歩いた。 

 

 

    平成29年1月20日 火の用心の鐘鳴る夜